鬼手仏心
 医師、特に外科医は冷静に考えてみれば非日常的なことをしている。
 お腹を切ってその中をいぢくり回したり、口やお尻の穴から管をつっこんだり、
 頭蓋骨を切り取って脳みそをいぢくってみたり、
 骨と骨とをボルトで留めたりと、いろんなことをしている。

 いくら医師免許を持っていて
 法律的にこうした行為を行うことを社会から許されているとはいえ、
 医師とて生身の人間、時にはびびることもある。
 そんな時のために上記のような座右の銘があるのである。
 
 手術などをするためには手が鬼にならなければならないのだ。
 患者さんに点滴の針ひとつ刺す行為にしても
 そのときは手が鬼になってイッキに刺さなければならない。
 「こんなことしたら患者さんは痛くてたいへんだなあ」などと思いながら
 こわごわと刺していたんではかえって痛いし、失敗する確率も高くなる。

 ましてお腹を切る時などはそのメスの動きは絶対に躊躇してはならない。
 一気呵成に切っていく。 その時外科医の手はまさに鬼である。
 治療のために必要でやむを得ず切るんだから
 「こんなことしたら患者さんは気の毒だなあ」などと思ってはいけない。
 変な迷いがあると手術というのは決してうまくいくものではない。
 
 だから手術をするときなどは私は
 「自分は今やろうとしている手術に関しては世界一の名医である。
  この患者さんは私に執刀してもらって幸せである」と
 無理やり思い込むことにしている。
 「やっぱ、オレよりは別の医者に手術してもらった方がいいかなあ」とか
 「やっぱやめようかなあ、スタッフも気乗りしてないし」とかいった状態で
 メスを握ってもうまくいかない。
 
 こう思い込めば手は鬼のようになる。
 というか手に鬼が取り付いたように勝手に動き出す。
 手術の上手な外科医の手を見ていると本当にそう思う。
 切るべきところ、切ってはいけないところは手に取り付いた鬼が判断する。
 それではじめて手術というものはうまくいく。 手に仏様がついてはならない。
 
 しかし心は仏でなければならないのだ。
 心まで鬼になったらもうメスは凶器と一緒である。
 冷静なる心の中の仏が手に取り付いた鬼をコントロールしなければならない。
 不必要な手術を避けるのは心の中の仏である。
 そして手術が終わった後は手に取り付いた鬼退治をしなければならない。
 もう鬼は要らないのだから。
 
 鬼手鬼心という医師はほとんどいない。
 こういう人は最初からメスを握る資格がない。
 しかし仏手仏心という人はよくいる。
 こういう人は残念ながら外科医には向いていない。 手がやさしすぎるのだ。
 動くべきところで手が動かず、動かしてはならないところに手がいく。
 だからそういう人の手術は遅いし、こわい。
 しかしその代わり内科医としてなら、
 患者さんの話をじっくり聞くいい医師となるだろう。
 
 外科医というのは人の身体を切り刻むから冷酷な感じがする人が多い、
 と一般の人は思いがちだが、そんなことはない。
 私の知っている限りでも
 この人が本当にメスを握るのか、と思うほど
 ふだんは温厚でニコニコしている外科医も多い。
 冷酷なのは手術場におけるその手だけである。
 かえって腕のよい外科医ほど人がいい人が多いようにも思う。
 (もちろん例外も多数あるが)

 手術においてもすぐカッとなって看護師に当り散らすような人はだいたい腕が悪い。
 手が思うように動かないからむしゃくしゃするのだろう。
 手術がうまくいかないのを看護師の器具の出し方が悪いだの、
 前立ち(執刀医の前にいて助手をする医師)のやり方が悪いだの言い出す。
 腕のよい外科医はニコニコしながら看護師とバカ話などしながら
 それでいて手はちゃんと動いている。

 鬼手仏心を実践するのはむずかしいが、この思いだけはなくさないようにしたいと思う。

posted 1 year ago